ぽすどくのデジタルタトゥー

自己主張してみたいメタ認知モンスター

博士進学の思い出 (当たり前に気づけた)


学部4年の7月のこと、僕は当時D4だった先輩に言われた通り、指導教官にこう伝えた。
「学振DC1が通るようサポートしてくれるなら博士行きます。」
この一言で人生は大きく変わった。

 

学部3年まで

小学生時代の記憶など疾う昔に忘れてしまったが、勉強に関して僕は中学からそこそこの成績だった。
高校はそれなりの公立高校に入学した。
大学受験も一浪して、それなりの私立大学理系学部に入った。
大学在学中、それなりに良い成績を収めた。
サークルにも入り、大学生活をそれなりに楽しんでいた。

学生生活なんとなく過ごしていた、これといった不自由なく。
将来のことなんかロクに考えたことはなく、直感で生きていた。
大学入学後は修士過程に進学して、その後就職するのだろうと漠然と思っていた。(僕がいた学科では毎年ほとんどの学生が修士過程に進学するので)

ただ博士には進まない。それだけはなぜか強く思っていた。
特に理由はない。博士にいったら終わり、と周りの人が言っていたからだ。
本当に何も考えていなかった、学部3年が終わるまでは。

 

研究室決め

学部4年から卒業研究のために研究室に配属される。
だから大体の人は学部3年の秋くらいから研究室訪問をする。
当初の僕はあまり乗り気ではなかった。直感的に興味のある研究をしている研究室が見つからなかったからである。

外研でもいくか、なんとなくそう考えていた。
どうせなら学歴ロンダしたいな、浅はかな考えである。

とりあえず興味の湧いた研究室 (外研) があったので、アポを取って訪問してみた。
なんか良さそうだなあと思った。
ダメ元でその研究室の教授に、外研生として入れてくれないかと頼みこんだ。
幸いにも快諾してくれた。
そして今の指導教官と巡り合えた。
当時の自分の行動力、褒めてあげたい。

 

研究室に配属されて

学部4年になり、研究室生活がスタートした。

最初の一ヶ月、新入生は実験をさせてもらえず、論文漁りと院試勉強に明け暮れた。
D4の先輩が「デスクワークばかりじゃつまんないだろ」と気を利かせてたまに実験をさせてくれた。
ただの電気泳動だったけど、とてつもなく楽しかった記憶がある。

5月からは実験をさせてもらえるようになり、言われた通りに実験していた。
実験楽しい!最初はそう思っていた。
でもそれが重なりいつからか、研究楽しい!に変わっていた。

そしてある時、D4先輩にこう言われた。

「学位を取れ」

当時そんな気は全くなく、あまりピンともこなかった。
でもその一言の真意を知るために、初めて自分の頭で将来について考えた。
普通の人なら当たり前のようにしていることだろうが、直感でぼーっと生きていた自分にとっては大きな成長である。

 

博士って意外といいかも

 

そして博士に行くと決めた。
先輩のアドバイス通り、DC1通るなら、と脅したことが功を奏し、業績も積み重ねることができた。
院試も第一志望のところに合格した。
大人の事情でDC1こそ申請できなかったものの、今はとても恵まれた環境で研究できている。

 

 

研究室に入って、考えることを学んだ

考えることの楽しさを学んだ、もちろん大変さも

とても遅かったけど、気づけてよかった

これは紛れもなく、今の指導教官に巡り合えたおかげである。

 

 

 

研究って楽しい。

 

 

 

今までは言われたことを愚直にやってたから全てそれなりでなんとなくだった。
でも本当の面白さや楽しさは自分で考えるから気づけて、それで熱中するんだよねって。
まあこれも当たり前か。

 

 

博士とったら何をしようか

 

最後

そんなこんなで、今は将来について色々考えるようになった。
これが大人になるということなのか...。

このブログで特に伝えたいことなどないが、とにかく人に恵まれた人生であると思っている。幸せなことだ。

ある機関では、大学院に行く人は同世代の5.5%しかいない変わり者扱いされているのに、博士進学を理解してくれる人には尊敬しかない。本当に貴重な存在である。そんな人たちと一緒に過ごすことができれば、冥利に尽きる。

 

追伸

こんな稚拙な文章を最後まで読んでくれた読者の方へ
貴方の貴重な時間を奪って申し訳ありませんでした。
ありがとうございます。

 

次からは生産性のあるブログを書くように心がけよう...。